常照寺由緒

常照寺由緒

常照寺由緒

本堂の画像

常照寺は、正式名称を寂而山常照寺(じゃくにざん・じょうしょうじ)という日蓮宗のお寺です。和銅年間の中期(710年前後)に行基によって建立されたと伝えられています。その後、鎌倉時代・宝治2年(1248年)に日蓮聖人や諸上人の参詣の縁を受け、元禄二年(1689年)に改宗し日蓮宗の寺院となりました。

また、当寺のある清水谷には、かつて高取城の下屋敷がありました。

高取城は太閤秀吉の時代、本多家の居城でした。時代が江戸徳川に代わると、領地換えにより植村家の城となりました。この植村家と当寺の繋がりは非常に深く、江戸時代中期には植村家の寄進によって境内の大改修が行われたと伝えられています。当時、奈良にあった日蓮宗寺院の中で二番目に広い領地を所有していたとも伝えられています。


日蓮聖人と常照寺

日蓮聖人像日蓮聖人は、承久4年(1222年)現在の千葉県に生まれました。幼少時より、釈尊の説かれた真実に導く道はひとつであるのに、なぜさまざまな宗派が生まれ、まるで競い合うようになってしまったのかと疑問を抱きました。

16歳で千葉県・清澄寺にて出家、その後、諸国を遊学し数多くの経典や書物を学びます。

南都遊学を終えた次に日蓮聖人が目指した地が高野山でした。聖人は奈良・平城の地より数人の修行僧と共に高野山へ向かいました。当地はその高野山の参拝路の途中にあり、大和平野を南下した吉野の地の入口にあたります。ここまで人の足では丁度、夕暮れ間近に当地へ辿り着く距離にあったと考えられます。

当時、この地には真言宗の冷水寺という寺院がありました。その冷水寺の塔頭が当山であり「正蓮院」と呼ばれていました。当時、若い旅の僧侶であった日蓮聖人は貧しく寺に一夜の宿を求めたと考えられます。日蓮聖人は正蓮院に一夜を過ごし、高野山へ向かったとされています。

高野山で真言宗を学び、その後、各地で学んだ日蓮聖人は法華経こそが釈尊の真実の教え・最高の経典であることを知ります。清澄で声高らかにお題目を唱え、立教開宗。自ら感得した釈尊の真意を世に顕わすため布教を始めました。日蓮聖人は、『立正安国論』を北条時頼に上呈するとともに、都で道行く人々に説法を繰り返したと伝えられています。当然、南都や高野山にもあの時の旅の僧侶が日蓮聖人だったことが伝えられ、当地にも語り継がれてきたのです。

時は移り、江戸時代の京都に日蓮聖人の意志を受け継ぐ弟子がいました。

本満寺の日乾上人です。日乾上人は、縦横無尽に布教を行っていたと伝えられます。日乾上人は、南都に布教の折に当地を訪れました。そして、日蓮聖人逗留の当寺へ折伏をおこない、法華への改宗を求めたとされています。当山、真言宗時代の本尊であった薬師仏の体内にも、この上人の「日乾」という名を見ることができます。

日蓮聖人と常照寺

常照寺 石垣の画像

当寺には、かつての高取城の面影を色濃く残こす場所が今も存在します。

寺のある小高い丘を覆い尽くす大きな石垣です。今ではこうした規模の石垣が残る場所は珍しく毎年、歴史愛好家の方が見学に訪れます。当寺では、この高取の歴史的遺産を後世に引き継いでいけるように、毎年、夏に多くの方々のご協力を得て石垣の草抜きや大掃除などの活動を続けています。